椿 星山のプロフィール

1962年千葉県の酪農家の家に生まれました。
小さい頃は、牛の鳴き声を聞きながら育ちました。

両親から
牛の「お腹が空いたよ~」という声と、「お乳を搾ってよ~」という声、

そして、「子供が生まれるよ~」という声の違いを
教えてもらい、わかるようになりました。

勉強は嫌いで、遊んでばかりいましたが、
なぜか書道と音楽の時間だけは好きでした。

こころが、楽しくうれしくなるからです。
書道では、書星会賞というのをもらいました。

学校では誰もこの賞を取った人がいなかったようで、
いろんな人から、すごいね!なんて言われました。

歌を歌っていると、こころが嬉しくなりました。
私にはまったく自覚がありませんでしたが、
楽しくやっていると、いいことがやってくるとわかりました。

猫が私の布団の中でお産をしたこともありました。
朝起きたら、布団の中は血だらけでびっくり。
でもなぜか、私も猫も幸せでした。

酪農という職業は正直嫌いでした。
なぜかというと、土日も祭日もありません。
いつも牛といっしょで、離れることができません。

家族旅行はしたことがありませんでした。
家族で外食なんていうのも、ほとんどありませんでした。

かなりさびしい思いをしました。
だから酪農家だけは、やだなあと思いました。

それと父親がほんとうに嫌いでした。
いつも母親を言葉でいじめていたからです。
おまえは、バカだ、どうしようもないやつだ!と言っていました。

牛の糞を頭からかけられたこともあると、
母から聞いたこともあります。
でも喧嘩にはならず、いつも母が耐え忍んでいました。

ですから家庭の中は修羅場になるようなことはなく、
表面的には平静が装われていました。
しかし母の父への不満は、そのまま私の心に届いていました。

私は絶対に父が許せませんでした。
しかし私は母と同じように、その思いをじっと抑え込んでいました。
抑え込んでいただけなので、不満は積もりに積もっていきました。

ただ家を出たかった私は、
獣医になりたいという口実をみつけて、
大学では獣医学を学びました。

ところが在学中に、「偶然と必然」
という生命の哲学的問いかけの本に出会い、
生命誕生の神秘と人間の運命に心を奪われます。

大学卒業後、人間研究のために教育関係の
営業の仕事に就きます。個人成績12か月連続トップ、
その後チームリーダーとしてもトップを走り続けました。

しかし、心の中はいつも虚しさでいっぱいでした。
それは、お客様も部下達も心から喜んでくれていなかったからです。
そして、自分らしい生き方ではないと感じていました。

エリアマネージャーになって、一時的に業績が上がっても、
業績を維持させることができませんでした。
結局業績は悪化の一途をたどり、挫折します。

その後、32歳の時に五行推命学に出会い、33歳で鑑定師となります。
運命鑑定、講演会、鑑定師養成セミナーなど開催し、
20年間でのべ一万人以上の鑑定をしました。

お客様は喜んでくださいました。
しかし、心の中にはまだ虚しさが残っていました。

縁があって飲食店の経営もやってみました。
でも結局うまくいかず、3年で店を閉めることになりました。
やはり、自分らしい生き方ではないと感じていたからだと思います。

それもそのはずです。
私の本心は、ただ父への不満を解消したかっただけなのです。
でもその時はまだ、そのことに気づいていませんでした。

その後、42歳の時にまったく英語ができないのに、
アメリカ留学のチャンスがやってきます。
43歳でニューヨークの大学院で学ぶことになりました。

それでも英語はやっぱり苦手な私なのに、
大学院の英語のスピーチコンテストで2位に入賞します。
挑戦はしてみるものだ!と実感しました。

なんと、その時のスピーチのテーマが父との葛藤なのです。
細かい話は覚えていませんが、
父との葛藤、本音の心情を英語で思いっきり話しました。

心の葛藤を赤裸々にぶちまけたのです。
英語のテクニックとか内容はたいしたことはなかったはずですが、
会場の中は、割れんばかりの拍手喝采の盛り上がりでした。

父との葛藤という私の中で最もネガティブな心の存在を、
ありのままに認め、スピーチで公表してしまったのです。
その時のすがすがしい気持ちと感動は今でも忘れられません。

すると不思議なことに、父への不満が消えてしまっているのです。
父の言葉も冷静に受け入れられるようになりました。

不器用で、口下手で、頑固者で、臆病者ですが、
子供のように純真でわがままな父が面白くなりました。

小学校しか出ていないのに、
親戚の中で最も成功し、
果敢に新しいことに挑戦し続けている父は魅力的に見えてきました。

大学院の中で、四柱推命の鑑定が好評を博したこともあり、
NYマンハッタンの中心街でも運命講演会を開催することもできました。
とにかく5年間で1000人以上の鑑定をしました。

いい気になってやっていたら、
すべてがうまくいかないようになりました。
ビザの問題でアメリカにいることができない状態になりました。

自分の実力だけではどうすることもできませんでした。
過去の実績や経験などで得た自信などは、
結構すぐに崩れ去ってしまうものだと思いました。

しかしその時、素晴らしいメンターとの出会いもありました。
その方からは、いろいろな大切なことを学びました。
特に瞑想や、自分自身との向き合い方について学びました。

自分の一番大切なもの、絶対失いたくないもの、
自分の心の拠り所となっているもの、

お金、地位、名誉、名声、学歴、実績、健康、
家族、友人、恋人、上司、部下、相談に乗ってくれる人など、

これらすべてを失ったとしても、

人間は自信を持って自由自在に、
楽しく生きることを自ら選択することができる、ということを学びました。
しかしその時はまだよくわかりませんでした。

その時に、何故か、世界的メンターになる、
というミッションを思いつきました。

今でも、何でそんなまったく根拠も実力もないのに、
世界的メンターなんていうミッションを掲げたのかわかりません。
きっと本当の自分らしさを求めているのだと思います。

2011年ビザなどの理由で帰国。
まったく関心がなかったのですが、
縁あって老人介護の仕事に携わることになりました。

そこで、私はご老人たちやそのご家族の現実に直面します。
特に認知症の方々やご家族は深刻です。
それは、本当にすべてを失っている方々でした。

お金、健康など目に見えるものは、時間と共に自然に失われます。
しかし認知症は、人間関係の心の絆そのものを失っていきます。
この方々のしあわせはいったいどこにあるのだろうか?

そこで、本当にすべてを失ったとしても、
人間は、自信を持って、自由自在に、
楽しく生きることを選択することができる、存在なのだろうか?

このことの答えを得るために、真剣に取り組むことになります。

メンターとしての実力が足りないと感じて心理学の勉強を続ける中で、
家系カウンセラーやNLPコーチングの師匠と出会います。

そこで、大変なことに気づかされました。
それは、以下の4つの事柄でした。

① 人間の人生、運命のシナリオは潜在意識レベルで実在するということ。
② そしてそのシナリオ通りに人間は生きてしまうということ。
③ しかしそのシナリオは書き換えることができるということ。
④ シナリオの書き換えは、本人しかできないということ。

ですから現在私は、

一人一人が本当に自分らしく、楽しく生きること、
途中にどんな困難や辛いことがあった人生であったとしても、

まず、自分の人生、運命のシナリオを知って、
次には、そのシナリオを幸せのシナリオに書き換えて、

最後には、本当に良かった!ありがとう!で締めくくるために、
人生の後半、最終章、セカンドライフのよろこびのために、
最高のエンディングのためのお手伝いをすると決意しました。

なぜならば、人生最高のエンディングを通じたメッセージこそ、
自分自身や家族、まわりのすべての人間を幸せにすると思えるからです。

セカンドライフ研究所・椿  星山

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